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自動車(cars,bikes)と飛行機(airplanes)

MITSUBISHI コルト1000ライトバン

 

三菱コルト

これは昭和51年7月、大学1年生のとき、高校時代の仲間3人と北海道旅行に行ったときの写真です。叔母の自動車を借り受けて、免許取り立ての4人で10日間のドライブに行きました。排気量1000㏄、4速コラムシフト、クーラー無し(当時としては普通です。その代わり風を入れるための三角窓がついています)、中波ラジオのみ。当時は中波のアナログラジオを聞くのが一般的で、カーステレオのついている車も専用の8トラックカセットで、このころにカセットテープ式に入れ代わり始めました。こういう形の商用車をライトバンと言います。

TOYOTA TE51 レビン(53年式)

51レビン

昭和53年式TE51型レビン。2TGEUエンジンで排気量1600㏄、グロスで110馬力、ネットだと85馬力くらい。軽量でよく走りました。速度を上げて5速に入れるとパワー不足のため加速しない。そのうえ空力的に設計されていないので不安定になる。リアはリーフスプリング(リジッド)、サスもタイヤも性能が悪いためグリップせず雨の日のコーナーで少しでもブレーキを踏むと必ず後輪が滑り出しました。限界が低いのでコントロール可能ですが。幅が185ミリという当時としては太いタイヤにパワーステアリングもなく直径36㎝の小さなハンドルは重く(ナルディに変更したのですがオリジナルのハンドルでも重い)、据え切りは不可能。女性が運転することも相当に困難。少し車を動かしていないとハンドルは回らない。据えぎりは基本的に不可。車体は軽量で華奢で交通事故にあったら致命的。シビエのフォグランプ。アルミ製アンダーガード、KSツインカウンターを付けてありました。この車には純正クーラーを付けました。クーラーなので冬はエアコン(暖房で除湿状態)にならないので雨の日は窓が曇ることがありました。そういうときは暖房をフロントガラス下から出して曇りを消します。最近は旧車の人気が高いですが、古い車の運転性能はそうとうに悪いしボディはすぐに錆びるし、いろいろと苦労が多いことを知っているのでしょうか。

NISSAN SKYLINE 32GTR

スカイライン

加速、走る、曲がる、止まる性能は抜群。どんなコーナーでも曲がれる(気がする)最高の自動車、ドライバーの思ったとおりに運転できる素晴らしい車。 加速性能がいいのでコーナーで無理して頑張る必要がなく、コーナーはゆっくり回って、直線に入ったらアクセルをガーンと踏めばドキューンと後続車を離していきます。コーナーを少し速めに走るとロールして危険を知らせます,もう少し速くするとタイヤが少し滑り出しますがスムーズなのでコントロール可能です,こうして素人のドライバーに限界を知らせてくれるのです。だからきちんと走る限りはとても安全な車で、この車で事故を起こすということは相当な無理をしたわけで、馬鹿です。

京都まで東名高速を使わないで往復したことがあります。運転は大変でしたが車とシートの出来がいいせいか10時間以上運転しても腰が痛くなることはありませんでした。当時、京都で修習していたAに泊めてもらいました。帰りは夕方5時に京都を出て夜通し走り、翌朝5時ころ、夜明け前の西湘バイパスを東に向かって走ったのを覚えています。あのころは元気がありました。 この車は燃費が悪い。普通でリッター6㎞、アクセルを開けると4㎞位。一度走りに行くと1万円かかるので、このころから、ガソリンはクレジットカードで入れるようになりました。クラッチも重すぎ。1年半しか乗っていませんでしたが、強烈な印象を持ついい車でした。ただし青信号で発進して普通に加速すると2速で70~80㎞/時になりそれから3速に入れると常に速度オーバーになります。「この車に乗り続けるには免許証が何枚か必要だな。」と思いました。あのころはよくこんなクラッチの重い面倒な車に乗っていたのだろう、若かったから、と思います。

TOYOTA クラウン ステーションワゴン

クラウン

GTRの次に乗ったのがこのクラウン ステーションワゴン2.5ロイヤルサルーン。7年間乗りましたが、故障せず非常に丈夫で信頼性の高い自動車でした。静かな直列6気筒エンジン。クラウンはパワーステアリングが非常に軽く、ほとんどの道路は、親指一本をハンドルの下にひっかけておくだけで走ることが出来ました。シートも大きく座り心地が良く好評でした。車格の割に車巾が狭いので、全長は長くても狭い道でも走りやすい車でした。 コーナーを速く走ることは出来ないけれど、独特のふわふわした乗り心地はとても素敵なものです。実は今までに乗った車の中で一番好きです。 こういう車を自動車評論家が評すると、ひどい評価しかしません。彼らは、自動車というものを、エンジン性能は高ければ高いほどいい、サスペンションは安定して高速コーナリングできるほどいい、ブレーキは良く効くほどいい、というように、いわばスポーツカーをみる目でしか評価することが出来ないのです。スポーツカーを評価する物差しで全ての車を評価しようとするからダメなのです。そのうえドイツ車の評価は高く、日本車の評価は低くというダブルスタンダードです。このクラウンを買うときにボルボ240と迷ったのですが,もしボルボ240を買っていたら今でも乗っていた可能性がある。今はステーションワゴンが無くて困ります。

SUBARU レガシー

レガシー

3代目レガシー ブライトン。レガシーの4駆は素晴らしく雨の高速道路と雪道での安定性は抜群。水平対向エンジンによる低重心も有効で実用的な意味ではこれほど速い自動車は無いと思います。乾燥した高速道路ならベンツやポルシェの方が速いでしょうが、どんな悪天候でも安定して速いのはレガシーです。ただし、レガシーの安定性はアクセルを踏んでいるときだけで、ブレーキを踏んだときの不安定さは普通の車と大差ありません。この落差が激しいので交通事故も多いだろうと想像がつきます。2リッターノンターボは燃費も良く四輪駆動とは思えない高燃費でした。ただ、4気筒で振動が多くエンジン音も少々うるさく、乗り心地がいいとは言えませんでした。

レガシー4代目は試乗記にシートが悪く後席が狭いと書かれていたので買いませんでした。レガシーの走行性能に感動するのは雨の高速道路と雪道を走ったときだけですが、シートは毎日座るのです。シートが悪い車は毎日乗るたびに不満を感じます。後席が狭ければ家族から大きな不満が出ます。家族から不満が出ると父親の立場が悪くなります。父親の立場が悪くなると、好きな車が買えません。スバルの開発者にはこういう感覚が無いのでしょう。 

HONDA ステップワゴン(RF3)

ステップワゴン

屋根の上はハンググライダー。人がたくさん乗れワンボックスの割に走行安定性が高い自動車。第三京浜を時速70~80㎞で走行中、突然、目の前に割り込まれ、本気の急ハンドルで交通事故を回避したことがありますが、極めて安定していました。回転対座シートとテーブル。明るい室内。大きいわりにいい燃費。シートが座るために出来ていないため運転が疲れる。乗り心地が良くない。運転が退屈。バスの運転手になる覚悟が必要なところ。

回転対座シートはとてもいいものです。実際にシートを回転させて対面式にしたことは乗っていた5年間のうちに5、6回しかありませんが、対面式にしたときの満足感は普段の無駄を補って余りあります。レストランモードにして、小さなテーブルを囲んで、子供たちと食事することは本当に楽しいものです。一年に一回しか使わなくても一回使ったときの楽しさで元がとれるものです。赤色にしたのは、子供たちが大きくなっても、真っ赤なステップワゴンで色々な場所に行ったことだけは覚えているだろうと期待してのことです。外装が赤、内装が黄色、クマのプーさんのシートカバーを作っていましたから、子供にはとっても楽しい車だったはずです。5年間乗りシートよりも子供たちが大きくなり売却しました。小さかった子供たちを乗せて楽しい思い出を作ってくれた車です。

OPEL VITA(ヴィータ)

オペル ヴィータ

2000年式オペル ヴィータ。頑丈なボディ、4つのエアバッグ、後席にも3つのヘッドレスト。時速70~80㎞を超えると安定性が増すところなど欧州の小型自動車です。特に故障もなく、故障しても、日本車よりも少し高い程度で外車の中では修理費用が安くすみます。子供たちを交通事故から守ってきれたいい車でした。欠点は燃費が悪くエアコンが効かないこと。「無いよりまし」という程度しか効きません。タイヤをコンチネンタルからブリヂストンに換えたらハンドルが格段に軽くなりました。やはり、日本の道には日本のタイヤです。

TOYOTA アベンシス 2・4L

トヨタ アベンシス

アベンシスは、トヨタがイギリスの工場で製造した輸入自動車。ヨーロッパ戦略車です。ベンツのCクラス、BMWなら3シリーズ、アウディならA4、フォルクスワーゲンならパサーとなどと競合します。 車の性格は、ドイツ車と日本車の中間。日本車と比べると非常にドイツ車的で硬いのですがドイツ車ほど硬くはない。ヨーロッパで売るために設計された車で、実際、ヨーロッパでは大ヒットしたように非常に優秀な車です。しかし、日本では売れませんでした。

ドイツ車の様に質実剛健で事故でも安全トヨタだから壊れないという素晴らしい車です。4気筒ですがバランサー付きなので振動が少なく室内の遮音レベルが非常に高く静かです。スムーズなオートマチック。ドアの閉まる音がいい。高級車の音がします。突出した性能の部分がないけれども、その代わり、走るための全ての機能が非常に高水準。長距離を走っても全く疲れないシートの良さ。燃費は、10~12㎞。ドイツ車よりはいいけど、日本車の平均よりは良くない。

ハーレー スポーツスター883L

スポーツスター

ハーレーで一番小さな排気量のスポーツスター883L 2005年式。正確に言うと現在は750㏄車が発売されているので最小ではなくなりました。883㏄、空冷、V型2気筒、OHV、キャブレターという古いメカニズム。ハーレーはこの車種をハーレーの入門モデルとみて価格を低く抑えてあります(中古なのでさらに安く入手しました)。音や鼓動、雰囲気などハーレーらしさは十分です。乗ってるだけで充分楽しくスピードを出す必要はありません。乗らないで磨いているだけでも充分楽しい。国産マルチシリンダーのスーパーバイクとは、全く別の乗り物です。エンジンパワーはないし,バンク角は小さく,ブレーキ性能がいいということもない,そういう尺度で選ばれるバイクではないのです。ハーレーはバンク角だけで曲がるものではありません。

YS11

チェカーの尾翼マークは航空自衛隊の飛行点検隊でしたか。YS11は戦後に初めて作られた国産機として有名で、作った方々は「傑作機だ。」と言いますが、操縦していた方々はほとんどほめることのない機体です。この大きな機体なのにワイヤーで機械的に操舵を動かしていて重いとか、いろいろと癖の強い機体で操縦士のみなさんはとても苦労されていたようです。あるキャプテンはYS11の機長を4年やったけど自分の思うとおりに動かせるようになったのは3年くらい乗ったときだったと回想されていました。頑丈すぎる機体はたくさんの旅客を乗せたい旅客機としては成功しませんでしたが、実質的には軍用機みたいなものなので、その頑丈さを生かして自衛隊などでは長く使われていました。私は引退する前のYS11で大阪・徳島便に乗りました。乗ったというだけでとくに感想もありませんが小さな飛行機なのでタラップ使用が新鮮で良かったです。飛行機の写真も撮りやすいし。羽田空港にタラップで降りるときはバスで空港の中央まで一気に乗せてくれるので、端っこのボーディングブリッジを使うときよりもよっぽど早く帰れます。写真はオリジナルの4枚プロペラですが自衛隊にはエンジンを換装した3枚プロペラのYS11もありました。

ブルーインパルス ハンドサイン

ブルーインパルス

航空祭でブルーインパルスがデモをしているときの写真です。背面飛行で滑走路上をパスしているときの写真です。前席のパイロットは操縦に集中していますが、後席のパイロット(演技中の後席はブルーインパルスの同じポジションの先輩か後輩の隊員が多いようです)は白い手袋をした手でハンドサインを出しています。意味は「I LOVE YOU」のようです。肉眼では全く分からないので写真で撮って拡大しないと分からないサインでした。

日本航空の見学

日本航空見学

昔、航空少年団にかかわっていたときに行った日本航空の見学ツアーのときの写真です。本物の機体整備工場に入って見ることができるのは楽しいです。この見学のときに飛行機が飛ぶ原理として揚力の説明をするのですが、最初の見学のときはベルヌイの定理だけで揚力を説明していましたが、2回目の見学のときは、揚力が発生する理由として3点並べて説明していました。ベルヌイの定理は揚力が発生する経過の一部分の説明にすぎないのでこれだけでは足らないのでしょう。

スピリットオブセントルイス

これは事務所においてあるスピリット オブ セントルイスの模型です。「翼よ、あれがパリの灯だ。」という本や映画で有名なリンドバーグが大西洋無着陸横断飛行に使用した機体で原作を読むのが一番おもしろいです。これは大西洋を横断するためだけのために特別に改造された機体なので、操縦席の前面は全て燃料タンクになっており機体前面の視界はありません。模型だから前面の窓を省略しているわけではなくて本当にないのです。重量バランス的に追加燃料タンクの位置はここになったのでしょう。離着陸時は横から見える景色を頼りに操縦し、洋上飛行中はコンパスが頼りという究極の機体です。リンドバーグは前日によく眠れなくて睡眠不足のまま出発し飛行中は睡魔と戦っていたようです。

海上自衛隊連絡機 LC90

LC90

航空祭で展示してあり中に乗せてくれました。操縦席で操縦輪(ホィール)を左右に回したらものすごく軽くて驚き「エルロンがこんなに軽いの?」とつい言ってしまったら、「軽すぎると感じるときもあるんだよね。」と説明役の幹部(将校に対する自衛隊での呼び方)が教えてくれました。もちろん実際に飛行していたら空気抵抗があるからこんなに軽くはないでしょうがゲーム用のコントローラー並に軽かった。他に乗ろうとする人がいなかったので少しお話をしていたら、幹部だと数年おきに飛行機を降りて地上勤務をしなくてはいけない、だけどと機体の後ろの方を指さして、ずっと乗っていられるから給料いいんだよね、と内情を教えてくれました。連絡機の後ろに人はいなかったので、おそらく哨戒機に乗り組んでいる隊員は幹部と違って飛行機に乗務し続けることができるのでうらやましいのだと思いました。そうですよね、飛行機が好きで、乗りたくてこの仕事についたんだから、ずっと乗っていたいですよね。自衛隊にとっては操縦者をたくさん維持する必要があることも分かりますが。

VFA195 ダムバスターズ

VFA195

アメリカ空母ロナルドレーガンに所属するVFA195 ダムバスターズの機体です。部隊の愛称であるダムバスターズというのは、この部隊が朝鮮戦争当時に戦略上重要なダムを破壊したことに由来します。1951年5月1日、アメリカの空母プリンストン(USS Princeton)に所属するVA195飛行部隊の8機のAD-4スカイレーダー攻撃機は、司令メリック中佐、隊長カールソン少佐の指揮のもと、MK-13航空魚雷8本を華川ダムに向けて投下してダムの門を破壊し、共産軍(中国軍)がダムの水を利用して国連軍に脅威を与えることを阻止しました。これは航空機からの魚雷攻撃としては最後のものです(クリムゾンスカイ 光人社NF文庫)。ダムバスターズというのは実はもう一つあります。これは第二次世界大戦中の1943年にイギリス軍が水面上を転がっていくような特殊な爆弾を大型爆撃機に搭載してダムを攻撃したものです。こちらは映画(邦題は暁の出撃 THE DAM BUSTERS)になっています。厚木基地ではこうして戦闘機の機体を手で触れることができます。この水平尾翼(水平安定板)に触ってみると、とても固いアルミ合金です。歩いていて頭をぶつけたらすぐに出血しそうな固さです。押したら凹みそうなセスナの翼とは比較になりません。

F104J

F104J

これは山梨にある日本航空学園で保管されている機体です。F104の主翼の前端はカミソリの様だという噂を聞いていたので、職員の許可を得て普段はカバーが付いている主翼の前端を触らせてもらったところ、カミソリというほどは尖ってはいなかったですが、それなりに鋭くて大根くらいなら簡単に切れそうでした。昔このF104を操縦していた人は、離陸したらどんどん上昇していかないとすぐに音速を超えてしまって防衛施設庁の人が謝りに行かないといけなくなる、と言ってました。速度をすぐに高度に変えていかないと速度が出すぎることがあったようです。操縦席から主翼が見えない飛行機とも言ってました。この飛行機はソビエトの爆撃機が原爆を積んで飛んできたときに緊急発進して成層圏に上がり、サイドワインダーミサイルで撃墜するというたった一つの目的に特化しているので日常の任務では使いにくかったでしょうね。翼端にサイドワインダーを積むと燃料タンクは積めないので飛行時間も短くなるだろうし運用が難しそうです。この飛行機を買ったのは開発したけどアメリカ軍に採用されなかったロッキードの救済だったのでしょうか。ドイツも買ってるけど。

 

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弁護士 安田英二郎

弁護士になって30年,市民,県民の多くの事件を扱ってきました。お気軽に相談してください。初回相談料は,5,000円(税込み)の定額です。

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